飴と鞭(武長×祥太郎)


廊下に残った赤茶色に染めた髪の生徒と、追いかけなかった漆黒の髪の生徒。

二人はジッと視線を絡ませ合ったまま黙り込む。
しかし、やがて堪えきれなくなったかのように赤茶色の髪の生徒が飛び掛かるように目の前の人物に突撃していった。

じゃらじゃらと手首に填めたブレスを鳴らし、両手を広げる。
焦げ茶色の鋭い瞳をきらきらと輝かせ、少し尖った犬歯を見せて笑った。

「武長っ!」

問答無用で飛びかかってきたその生徒を、漆黒の髪の持ち主は避ける素振りもみせずただ、硬質な眼差しで射抜く。

「――待て、祥太郎」

そして、深く痺れるような低い声にピクリと祥太郎の身体が反応して、武長へと飛び掛からんとしていた身体は武長に触れる寸前でピタリと動きを止めた。

「なんで、三日振りなのに…」

待てと言われた石崎 祥太郎(いしざき しょうたろう)は、目に見えてしょんぼりと肩を落とし、目の前で溜め息を吐いた生徒会長高円寺 武長(こうえんじ たけなが)を恨めしげに見つめる。

「三日振りの前に、何か俺に言うことがあるんじゃないのか祥太郎」

そんな祥太郎の恨めしげな眼差しをはね除け、武長はそう言って祥太郎を促した。

「言うこと?…武長に会いたかった。電話だけじゃやっぱり足りねぇよ。ずっと一緒にいたのに。今さら俺、我慢できない。武長が好き」

「っ、そういう意味じゃない」

「え?」

「お前、自分がどれだけヤバイ状態か理解してるか?この際テストは捨てても最低限授業の出席率は上げておけって三日前言ったよな俺」

ジロリと至近距離から睨まれて、慌てて三日前の記憶を引っ張り出した祥太郎は頷く。

「だったら何でお前はここにいる?もう授業は始まってるぞ」

「それは…」

口ごもった祥太郎に武長は少々キツい言葉を投げつけた。

「それとも奴等と遊ぶのに夢中で俺との約束はどうでもよくなったか」

「ンなわけねぇ!」

「お前が留年したら今よりもっと会えなくなるんだぞ。まぁ最悪そんなことになったら…」

「っ嫌だ、武長!」

声を上げて言葉を遮った祥太郎を武長は冷静な目で見つめる。
すると、祥太郎は眉間に皺を寄せ、グッと奥歯を噛み締めた。

「………」

くるりと武長に背を向け、祥太郎は歩き出す。

「…俺、教室戻る」

どことなく強張って寂しそうな背中に武長は瞳を細め、やや口調を和らげてその背中へ声を投げた。

「祥太郎。放課後、自分の部屋で待ってろ」

「…!」

「勉強教えてやる」

「…はぁい」

がっくりと気落ちした様子で祥太郎はとぼとぼと遠ざかっていく。
その後ろ姿に武長はやれやれと溜め息を吐いた。

「アイツ、確実に勘違いしたな。…留年になりそうになったら最悪俺が何とかしてやるって言うつもりだったんだか。まぁいい。やる気になってくれたんならそれに越したことはない」

武長はふっと笑って生徒会室へ向かった。




F組の教室へと急いで戻った祥太郎は思いきり教室の前のドアを横へとスライドさせる。

――バァン!

思いきりが良すぎて若干ドアが押し戻された。
F組の教室には空席が少しと、カラフルな頭をした不良生徒、教壇には授業をする体格のがっしりとした教師。

「いっ石崎、遅刻だぞ」

ビクリと当初は肩を跳ねさせた教師も冷静さを取り戻すと注意を促す。

「ちょっと昼飯にあたっちゃって、トイレに籠ってた」

それに祥太郎は適当にでっち上げた理由を述べて自分の席に向かう。

「そういう時は誰かに言ってから行きなさい」

「はぁい」

ガタガタと椅子を鳴らして、祥太郎は陽当たりも良い窓際の最後尾の椅子に腰を下ろした。

「………」

授業を再開させた教師の声が子守唄に変わりかけた頃。机に片肘を付き、頬杖を付いてうとうとしていた祥太郎は急に震え出した携帯電話に驚いて頬を乗せていた手を滑らせた。

――がんっ!

「っ…う…」

「ん?どうした石崎」

「な、何でもないっす」

机に打ち付けた額と鼻先がじわりと痛い。目の覚めた祥太郎は鼻先を左手で押さえ教師に答えると、机の下で隠して携帯電話を取り出した。

「誰だよ…」

パチリと画面を開けばメールが一件届いている。
祥太郎は眉を寄せながらそのメールをさっと開いた。

「…!」

差出人を目にした祥太郎は一瞬で機嫌を直す。
しかし目を落とした本文にしおしおと肩を落とした。


5/21 14:27
From高円寺 武長
Sub頑張れ
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間違っても寝るなよ。
解らなくてもとりあえず授業は聞いておけ。
放課後、何をやったか訊くからな。


「………」

どこまでも厳しい武長に祥太郎はほろりと泣きたくなった。けれども、こうして少しでも気にかけてくれたことが嬉しい。
祥太郎はがっかりしたりにやにやしたりと忙しかった。

それから退屈な授業を寝ないように我慢して、帰りのホームルームが終わるやいなや教室を飛び出すようにして祥太郎は帰寮した。
例え武長の目的が勉強を教えることだとしても、祥太郎は武長といられるなら頑張るつもりだった。

急いで部屋へと帰った祥太郎は、同室者が家の都合で退寮してから一人部屋となった室内を慌てて片付ける。散らかしっぱなしだった服を適当に寝室に放り込み、読みっぱなしにしていた漫画や雑誌を本棚の前に積む。

「ふぅ…こんなもんか」

一息吐いて、それから私服に着替えてる最中にインターホンが鳴った。
祥太郎はシャツを羽織りながら玄関へ向かう。

「はぁい」

ドアの鍵を外して、ドアを開ければ……制服姿の武長がいた。

「たけっ…!」

「ばかっ!そんな姿で出て来る奴があるか!ちゃんと服を着ろ!」

「へ…?」

どんっと突き飛ばされるように胸を押されて、祥太郎はよろけながら部屋の中へと押し戻される。その分武長は部屋の中へと足を進め、武長の背後でガチャリと扉がしまった。

いきなりばかと言われた意味が分からず、祥太郎は首を傾げてジッと武長を見つめる。
すると武長は薄く赤く頬を染めながら、シャツを羽織っただけで前を全開にしたままの祥太郎のシャツのボタンを一つ一つ留めていく。

「俺だから良いものの…お前は危機感が無さすぎる」

「…危機感?」

「そうだ。こんな格好で出て、お前襲われても文句はいえないぞ」

ボタンを留め終えた武長は赤みの引いた顔を持ち上げ、バシリと祥太郎の胸を叩いて部屋の中へと足を進め…ようとして、祥太郎に腕を掴まれた。

「武長、俺…!」

そして、バチリと目が合うと祥太郎は息を吸って言い放つ。

「武長になら襲われてもいい!むしろ大歓げっ…」

「っ、ばか!大声で言うことか!」

がしりと口を掌で覆われて、祥太郎はもごもごと口を動かす。いつでも直球でくる祥太郎に武長は息を吐いて、心を落ち着かせると掌を外してやった。

「ばかなこと言ってないで勉強するぞ」

「えぇー」

不満そうな顔をする祥太郎の脇を抜け、リビングに入った武長はソファに腰を落ち着けた。
その後を渋々と祥太郎は追い、テーブルを間に挟んで武長の正面に腰を下ろす。

「まず教科書出せ」

「…はぁい」

予め用意していた教科書をテーブルの上に乗せ祥太郎は向かい側でグレーの眼鏡ケースを取り出した武長を見つめる。
武長は勉強する時にだけ艶やかな黒いフレームの眼鏡をかける。

「………」

たったそれだけで、武長の印象はずっと大人びたものに変わる。
それが祥太郎は好きで、大嫌いだった。

「祥太郎?」

ジッと見つめすぎていたせいか、武長が不思議そうに祥太郎を見返してくる。

「…武長」

「どうした?」

「俺、出来るだけ頑張るから…置いてかないでくれ」

いつになく弱気な表情をみせる祥太郎に武長はふっと仕方ないなと表情を崩すと祥太郎の額に手を伸ばし、バチリとデコピンを食らわせた。

「ばぁか。見捨てるならとっくの昔に見捨ててる」

「っう…」

痛む額を押さえた祥太郎に武長は笑みを崩さぬまま、今度は頭を優しく撫でてやる。

「俺以外の誰がお前の面倒見れるっていうんだ」

「…!…」

「伊達に十七年もお前と幼馴染みしてない」

「〜ったけながぁ!大好き!」

「ばっ、飛び付いてくるな!危ないだろうが!」

わざわざテーブルを回って来た祥太郎は感情のままに武長へと飛び付く。
それに咄嗟に床に手を付き堪えた武長は片腕を祥太郎の首裏に回すとシャツの襟首を掴んで思い切り後ろへと引っ張った。

「ぐっ…ちょ、たけ…!」

グッと力を入れてシャツの襟首を引かれ、祥太郎の息が一瞬詰まる。
武長に引き剥がされた祥太郎は不満を口にしたがそのまま床に放られるように投げ捨てられた。

「ったく、ばかやってないで早く座れ」

「ばかって…確かに俺ばかだけど…。酷い、武長」

しおしおと正面に座り直した祥太郎を眺めながら武長は真面目な顔で切り返す。

「でも、そんな俺でも好きなんだろう祥太郎?」

ふっと口端を吊り上げ笑った武長の大人びた表情に祥太郎はぽぅっと見惚れて素直にコクリと頷いた。けれどもすぐに我に返って耳まで真っ赤にして祥太郎は武長から視線を外した。

「…っひきょーだ、武長!俺がその顔に弱いの知っ…!?」

すと伸びてきた武長の手に言葉を遮られ、熱を持った祥太郎の耳に武長の手が触れる。するりとそのまま頬を滑っていき、顎に辿り着いた指先に顔を正面に戻されて武長の端正な顔が近付けられた。

「祥太郎」

「た…け…っ―…!」

掠めるように優しく重なった唇に祥太郎は目を見開く。その様子に武長は瞳を細め、ゆっくりと祥太郎から身を退くとゆるりと笑った。

「さ、勉強始めるぞ」

「へ?あ、待っ…今の!」

「先払いな。お前がちゃんと授業を受けるようになったら続きしような」

重なった唇を親指の腹でそっとなぞられて、ぞわぞわとした感覚が祥太郎の背筋を駆け抜ける。
真っ直ぐに甘く祥太郎だけに向けられた微笑みに、十七年間未だ祥太郎は勝てた試しがなかった。

「う〜〜っ、俺、もう絶対…授業サボらないから続きっ!」

「駄目だ。――結果が出るまでお預けだ」

「…そんなぁ」

恨めしげに見つめる視線を振り切り、武長は祥太郎の為の勉強会を無理矢理押し進めた。



end.

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